2020/11/21

興福寺(古都奈良)

平城京遷都の710年、藤原不比等(ふじわらのふひと)により藤原京から移された山階寺(やましなでら)が起源。
和様建築*の典型例といわれる東金堂(とうこんどう)や五重塔の遺産価値が認められました。

2016.11

国宝 五重塔
現存する五重塔としては京都の東寺に次いで2番目の高さ


国宝 三重塔


*和様建築
6世紀末から8世紀にかけて大陸より日本に伝えられた仏教建築が、日本の風土や日本人の感覚に合った形に変化した様式。


参照:法相宗大本山 興福寺HP、お寺の教科書(エイ出版社)、日本史B用語集(山川出版社)、世界遺産学検定 公式テキストブック1 概論+日本の遺産(講談社)、すべてがわかる世界遺産大事典<上>(マイナビ)、世界遺産ふしぎ探検大図鑑 増補版(小学館)

2020/11/05

東大寺(古都奈良)

728年に建立された寺院が起源。743年、仏教の鎮護国家の思想により国家の安定をはかろうと
聖武天皇が東大寺と命名、大仏造立の詔を発布。華厳宗大本山。

金堂(大仏殿)、南大門、転害門、法華堂、正倉院などの遺産価値が高く評価されました。

国宝 金堂
盧舎那仏坐像を安置するための金堂は中国の寺院をモデルとした建築様式として特に貴重

国宝 盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)
蓮華蔵という世界の中心に坐り、限りない智恵の光で全ての世界を照らすといわれる

境内の正門
国宝 南大門


 9歳5ヶ月 

【古都奈良の文化財】1998年 登録
 東大寺・興福寺・元興寺・薬師寺・唐招提寺・春日大社・春日山原始林・平城宮跡

 (ⅱ) 古都奈良の建造物群は、中国と韓国との文化的交流の結果により進化した日本の建築と
   芸術の優れた証拠であり、その後の発展へ多大な影響を与えた。

 (ⅲ) 古都奈良の建造物群は、奈良に都があった時代に花開いた天平文化を表す証拠である。

 (ⅳ) 天皇の大内裏である平城宮のレイアウトおよび平城京に現存する建造物群のデザインは
   初期のアジアの首都にみられる建築と都市計画の顕著な見本である。 

 (ⅵ) 古都奈良の仏教寺院と神社は、それらの信仰の継続性と影響力を見事に表している。


参照:UNESCO 公式HP
世界遺産学検定 公式テキストブック1(講談社)お寺の教科書(枻出版社)、日本史B用語集・詳説 日本史B、詳説 日本史図録(山川出版社)

2020/10/27

古都奈良の文化財

8世紀の都、奈良 平城京。当時の様子を今に伝え、日本文化の源泉ともなった8物件が1998年【古都奈良の文化財】としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。

5つのお寺、神社、原始林、遺跡の計8件を次回からひとつずつご紹介していきます。

2010.6


参照:Unesco 公式HP、世界遺産学検定 公式テキストブック1 概論+日本の遺産(講談社)

2020/10/16

厳島神社

平清盛により社殿が整えられた厳島神社。人類の創造性を示す傑作としてその建築が高く評価されただけでなく、日本人の精神文化や美意識を理解するための重要な手がかりでもあるとして1996年ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

海と山の間に建つ社殿




干潮時の大鳥居


2009.11.21

弥山(みせん)からの眺め
11歳6ヶ月


厳島神社(いつくしまじんじゃ)
( ⅰ ) 厳島神社の社殿は、平安時代の寝殿造り様式を取り入れた景観が見事であり、人類の創造性と周囲の自然の融合が卓越している。美しい山々を背景とし海上に建つ社殿は、芸術的にも技術的にも優れた価値を示している。

( ⅱ ) 厳島神社の社殿は、神道の伝統的建築様式によるものであり日本人の精神文化や美意識を理解する重要な手がかりである。前に広がる海と背後の山と一体になった社殿の景観が日本人の美意識の基準となったことは、厳島神社の最も重要な側面である。

( ⅳ ) 12世紀後半から13世紀前半の様式で忠実に再建された厳島神社の社殿は、周囲の景観に溶け込む古代神道建築の優れた見本であり、人類の自然崇拝を物理的に顕在化する建造物である。

( ⅵ ) 日本人の精神生活は、多神教の自然崇拝を中心とする日本古来の神道に深く根ざしていることが多いが、厳島神社は日本人の宗教観のそのような一面を理解する上で重要な手がかりである。


引用:UNESCO 公式HP
参照:世界遺産学検定 公式テキストブック1 概論+日本の遺産(講談社)

2020/09/29

五箇山(白川郷と五箇山)

菅沼合掌造り集落(富山県南砺市)

世界遺産に登録された3つの集落の中で一番小さな集落です。

五箇山民俗館



2018.2.19

2020/09/14

白川郷(白川郷と五箇山)

日本有数の豪雪地帯。岐阜県と富山県を流れる庄川(しょうがわ)沿いに位置する三つの集落は、その土地の条件に見事に適応した合掌造り建造物の価値に加え、社会構造が集落の精神面と物質面の両面を支えた事も評価され、1995年【白川郷と五箇山の合掌造り集落】として日本で6番目のユネスコ世界遺産となりました。

白川郷(岐阜県白川村荻町)
重要文化財 和田家住宅


展望台から集落を望む


2010.5.29

白川郷 冬
2018.2.20



【白川郷と五箇山の合掌造り集落】
(ⅳ) 白川郷と五箇山の歴史的集落は、その土地の環境に完全に適応し、その土地ならではの社会的・経済的存在価値を完璧に受け入れた伝統的集落として特筆すべき見本である。

(ⅴ) 合掌造り家屋の構造は、大家族制や家屋内での生産体制・集落での相互扶助といった社会構造をもたらしたが、それらが1950年以降の日本経済の激変を生き抜いた事はとりわけ重要であり、その結果、集落が長い歴史の中で築いた精神と建造物が共に維持された。


参照:ユネスコ公式HP、世界遺産ふしぎ探検大図鑑 増補版(小学館)、世界遺産学検定 公式テキストブック1 概論+日本の遺産(講談社)

2020/09/06

二条城(古都京都)

3ヶ月以上に渡りご紹介を続けてきた【古都京都の文化財】いよいよトリを飾るのは、徳川幕府の始まりと終わりを象徴するお城です。

二条城
1601-1603年 徳川家康が上洛時の居城として創建。平城。
家康の孫 家光によりほぼ現在の形に整備された二の丸御殿は、江戸時代初期の典型的な武家風書院造り建築であり、当時の城郭書院として現存する唯一のものといわれています。
同じく寛永期の形を残す二の丸庭園と共に遺産価値を認められました。

1867年には、最後の将軍 慶喜が二の丸御殿の大広間にて大政奉還を表明、徳川幕府が終わりを告げました。


唐門の先が二の丸御殿(2007年撮影) 唐門は2013年に美しく修復されました


2007.10.10


本丸御殿




世界文化遺産【古都京都の文化財】の17物件は建造物それぞれ価値が高いのはもちろんのこと、日本の歴史にとって特筆すべきものであることから、ひとつひとつご紹介いたしました。

次回は趣ががらっと変わり、日本が世界に誇る集落の登場です。


参照:世界遺産ふしぎ探検大図鑑 増補版(小学館)、世界遺産学検定 公式テキストブック1 概論+日本の遺産(講談社)、日本史B 用語集 / 詳説 日本史図録(山川出版社)、週刊 日本の世界遺産&暫定リスト14 古都京都 3(朝日新聞出版)